鉄道資料3
創立総会
大正元年10月14日の発起人会で「上越軽便鉄道」の社名を「頸城鉄道」と改め、同 時に定款で資本金を22万円と定めて株式募集を開始したが、明治天皇の崩御で世情は暗 く景気も低迷しており募集は困難をきわめた。(当時の物価は米1石8円、散髪代3銭)
大竹謙治は東奔西走して出資を募り、郷土出身の前島密男爵(後に郵便の父と敬れた) や実業之日本社社長増田義一氏の賛成出資もとりつけ、翌2年3月10日に漸く4400 株の満株に達した。しかしながら株式の引受けの内情は単一のものではなく申込者の多く は払込金の代納を希望し、これを一括引受けたのが山田辰治氏であった。その代納引受株 は氏の持ち株500株と合わせて少なくとも1800株以上と推定されており氏の支援な くして頸城鉄道の誕生はあり得ませんでした。
そして、創立総会は大正2年4月6日、社長に大竹謙治が就任、総株主数は309名を 数え人気は上々であった。
大正元年10月14日の発起人会で「上越軽便鉄道」の社名を「頸城鉄道」と改め、同 時に定款で資本金を22万円と定めて株式募集を開始したが、明治天皇の崩御で世情は暗 く景気も低迷しており募集は困難をきわめた。(当時の物価は米1石8円、散髪代3銭)
大竹謙治は東奔西走して出資を募り、郷土出身の前島密男爵(後に郵便の父と敬れた) や実業之日本社社長増田義一氏の賛成出資もとりつけ、翌2年3月10日に漸く4400 株の満株に達した。しかしながら株式の引受けの内情は単一のものではなく申込者の多く は払込金の代納を希望し、これを一括引受けたのが山田辰治氏であった。その代納引受株 は氏の持ち株500株と合わせて少なくとも1800株以上と推定されており氏の支援な くして頸城鉄道の誕生はあり得ませんでした。
そして、創立総会は大正2年4月6日、社長に大竹謙治が就任、総株主数は309名を 数え人気は上々であった。
大正3年
| 1月
| 土木工事開始。機関車・客貨車・軌条を発注。
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8月
| 保倉川の氾濫による築堤復旧工事。
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8月
| 17日
| 軌条ひきのばし工事開始。建設列車走る。
(軌間2フィート6インチ=760ミリ)
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8月
| 20日
| 取締役会で停車場名決定。
新黒井・北四ツ屋・百間町・上森本・飯室・下保倉と決定。
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9月
| 6日
| 下保倉まで軌条敷設完了。
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9月
| 13日
| 新黒井~下保倉間の運輸営業開始を申請。
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9月
| 18日
| 第1期線路工事完了。(新黒井~下保倉間13.8キロ)
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9月
| 20日
| 試運転開始。
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9月
| 26日
| 軌条、車両検査完了。駅員配置。
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9月
| 29日
| 新聞記者試乗。午後、開業認可届く。
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10月
| 1日
| 新黒井~下保倉間開業。
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