社史 No.7
緑字は初代社長の日記から抜粋 赤字は歴史上の主な出来事
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昭和30年(1955)
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3月01日
| 直江津営業所並びに直江津整備工場を新設。
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3月25日
| 松本電鉄と大町~能生相互乗り入れ協定締結。
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6月29日
| 松之山旅館を巡視、復興ぶりに驚く。
(注、昭和29年8月19日 松之山大火、松之山後援会に低利長期融資) |
7月05日
| 大町までのバス開業。
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11月12日
| 77回の誕生日。写真数十枚撮影。
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昭和31年(1956)
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3月02日
| 日比谷公会堂で開催の全国バスガイドコンクールで礫さん3位入賞
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3月00日
| 直江津整備工場で除雪車ピーターを自社製作。
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日本で最初の除雪車となった。
4月14日
| 観桜会でバスガイドコンクールあり。
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7月07日
| 赤倉宅地を視察。翌日、本社にて宅地借用につき協議可決す。
(完) |
11月03日
| 社長 大竹謙治、運輸大臣より交通文化賞受章。
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12月16日
| 社長 大竹謙治没、正五位勲四等に叙せらる。同日、二代目社長に大竹太郎就任。
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12月00日
| 国際連合に加盟承認される。
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昭和33年(1958)
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4月01日
| 社内報・頸鉄だより第1号刊行。
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昭和34年(1959)
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3月07日
| 観光バスが関門トンネルを抜け、初の九州上陸
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昭和35年(1960)
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10月01日
| 富山地鉄と黒部~糸魚川間バス相互乗り入れ協定締結。
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昭和36年(1961)
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11月01日
| 直江津女子寮新設。
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11月20日
| 直江津に新整備工場完成。
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12月01日
| 資本金1億1,000万円に。
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昭和37年(1962)
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11月02日
| 資本金1億5,400万円に。
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昭和38年(1963)
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6月26日
| 直江津整備工場が新潟陸運局長から指定整備工場に指定される。
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10月05日
| 直江津に新本社完成。
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鉄筋コンクリート3階建て、一部5階建て
11月00日
| ケネデイ大統領暗殺される。
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12月20日
| 創立50周年を記念して16ミリ映画「頸鉄50年」を製作。
あわせてパンフレット「頸鉄」「社長の雑談」を刊行。
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昭和39年(1964)
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5月25日
| 頸鉄協力会発足。
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7月00日
| 東海道新幹線開通。
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10月00日
| 東京オリンピック開催。
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昭和40年(1965)
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1月16日
| 糸魚川営業所竣工。
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4月01日
| 直江津線ほか2路線にワンマンバス登場。
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試乗会を実施
9月18日
| 台風24号の影響で2,000万円を超える損害を受ける。
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11月11日
| 資本金2億20万円に。
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昭和41年(1966)
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3月31日
| 高田営業所竣工。
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5月31日
| 蒸気2号機関車を廃車。
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昭和42年(1967)
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1月04日
| 松之山表層雪崩で出張所社員2名殉職、3名重傷。
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5月24日
| 定期バス路線免許1,000キロを超える。
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昭和43年(1968)
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1月01日
| 頸城鉄道自動車厚生年金基金発足。
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4月01日
| 後乗り前降り方式の新型ワンマンカー登場。
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6月00日
| 採石事業に進出。
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10月01日
| 頸城鉄道線の新黒井~百間町間(5.4キロ)と飯室~浦川原間(3.7キロ)を廃止。
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さよなら列車の運転
昭和44年(1969)
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5月15日
| 定期観光バス・謙信ロードがスタート。
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春日山神社にて
5月25日
| 自動車分解整備事業、旅行斡旋業、広告宣伝業を開始。
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7月00日
| アメリカによる人類初の月面着陸。
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10月01日
| 常陸宮、同妃殿下が当社観光バスで笹ヶ峰牧場をご視察。
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昭和45年(1970)
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3月26日
| 不動産業の免許を取得。
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8月02日
| 東京で初の歩行者天国を実施(銀座、新宿、池袋、浅草の4箇所)
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9月01日
| 一部出資のニッポンレンタカー新潟がオープン。
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